Contemplation Field of MichiroJohn

Chapter3-1


V−1.城
 
 
 

   

The Castle (1926)[a]  by Franz Kafka (1883-1924)[b]                     Kafka (1991) [c] by Steven Soderburgh[d]

 

 前章でも少し述べていたが、カレらの話から異星人の分別を試みてみる。そしてその背景からカレらが存在する理由なり事情なりを考えてみる。それはムートピア人を知る上でも、地球がこれから向かう先を知る上でも重要なことと思われた。カレらの話は曖昧かつ抽象的であり、なんら証拠を持たないが、聞かれてくる話から地球社会が取るべき未来への方向性を見つけだすことは可能だった。この物語はそのためのストーリーでもある。この方向性が見つけだせるように誘導してくるモノもカレらの中にはいる。カレらが本来するべきは『地球社会が向かうべき未来への指針を与える』ことだったのだろう。カレらはこの件に関して、自己反省を含めて様々な言い訳や弁舌を繰り返してくるが、要はーーー

 

『長い年月を経るうちにカレらは変容してしまった』

 

ということだ。今ではおせっかいを通り越して、ただの悪魔だ。自己判断能力を失ってしまっているといってもいい。

 カレらが悪魔に成り下がる過程はつまるところ分からないが、カレらの口からよく聞かれる話題でもあるので、想像することができる。現地民に早く自分たちのようになってもらうことを願って話してくる、つまりカレらの策略の1つと考えられるが、カレらの中枢メンバーが話題に上ってくるようなので、誰彼の特定が難しくなる形で語られてくることが多い。カレらの手先として働いていたと思われるアンドロイドたちが中枢メンバーの意思を伝える形で伝えられてくるーーーといった感じだ。それは隠しているようで、カレらの原初の社会形態をそのまま伝える形となっていると思われ、大変参考となる。が、もちろんこれも地球人がそのようになって欲しいというカレらの策略と考えられるので注意が必要だ。

 

 カレらが悪魔化する過程を私が想像した範囲では、

ーーー長い年月を経るうちに国家の枠組みが無くなる、もしくは形骸化しまうと、個人レベルで国家レベルのことが行えるようになった。戦争や情報操作(マインドコントロール)、はては惑星1個を火ダルマに変えてしまうようなことも個人レベルで可能だ。その結果、法治主義は民衆レベルから崩れるようになり、国家・組織が制約していたおかげで成り立っていた個人の行動規範もなくなり、激しいモラルハザードが社会に蔓延した。個人間の社会的な関係はもはや作れなくなり、個人は閉じこもりがち、経済は停滞がちとなり、社会は有機的に機能しなくなった。このような社会においては悪魔的な行いをすることが唯一のカンフル剤であり、人を動かすモチベーションにつながった。

ーーーということだ。

 なんだかよく分からない社会だが、人に迷惑をかけることが社会の健全化につながるとカレらは信じて疑わないので、カレらはそのような世界の住人であるということだ。

 

 行き詰ったカレらの未来社会において、唯一活動的だったのはあえて犯罪行為を行うことでコミュニティーの結束を図ろうとする集団だったようだ。現代風にいうと、『不良グループ』とか『フーリガン』と呼ばれるものだ。中央管制システムにみられる徹底した管理社会にあって、システムの監視をかいくぐって犯罪行為を行ってみせることは義賊的な賞賛を受けることとなった。警察機構がマインドコンロール銃を所持し、生体捜査(ナノテク捜査や個人記憶捜査)も行ってくるため、凶悪犯罪を起こすためには詭弁を弄した弁舌で行政当局を翻弄しつつ、政治的な駆け引きを行う必要があった。ここに他では味わえない楽しみがあったといっていい。絶対に犯罪が起こせないはずの管理社会を打ち破ってみせることがカレらの生きがいになったのだ。これが民衆レベルからの法治主義の崩壊であり、カレらの管理社会では逆に犯罪行為が蔓延した。社会全体をみてみても、ただ下層に犯罪集団が存在しているだけではなく、上層部つまりアンドロイドたちも詭弁を弄して合法的な犯罪を犯そうとしたので、社会全体が中央管制システムに敵対しているといえた。完璧すぎるシステムは逆に人々に不健全な物の考え方を惹起してしまっていたということなのだろう。

 カレらは中央管制システムを破壊することも度々だったようだが、システムに依存しているカレらはシステムから抜け出すことは出来ず、自分たちの行動を自己正当化するばかりで、結局、外敵がいないことに問題があるという結論に達していたようだ。もちろん浅はかな結論で、周囲との良いライバル関係が作れない人間が到達した歪んだ発想だった。カレらはすでに超人的であり、ライバルを蹴落とす方法には熟知していた。カレらは神であり、ライバルはいなかった。良きライバルが作れないために自らを奮い立たせる刺激となるものに乏しく、やがて社会から隔絶して閉じこもるか、逆に跳ね返って秩序を壊すほうに走るしかないようだった。カレらは結局、故意に『悪者チーム』なる合法的な犯罪集団を形成することで社会のカンフル剤とする行動に出ていた。カレらは悪魔的な行いをすることで相手とのつながりを保とうとする、歪んだ対人関係の構築を図ってくる人間ばかりを作り上げていっていた。

 

ーーーその結果が、今ここにあるのだろう。

 

 カレらは法治主義の世界には馴染めないが、自らを律するものがないと自らの悪魔的な行いを制限することができないので、法治主義のしっかりとした世界に寄生しようとするーーーこれが多分カレらの侵略の理由であり、『移住』だろうが、それだけでは全てを説明することはできないようだ(だが多分これが最も大きな理由だ)。カレらは何かに依存しないと生きていけない子供のようなものだ。カレらの言動からは『大人』『子供』といった区別の仕方がよく行われており、自分たちの世界を知っていることが『大人』であり、知らないと『子供』にされてしまう。生身の人間が『子供』であり、アンドロイドになると『大人になる』という区別のされ方もある。『子供』のほうが人生を真面目に生き、よっぽど優れていると思われたが、カレらはそのような評価の仕方はしない。

 我々の世界では子供も大人と同じ扱いをすることが大事であり、子供であるとか大人であるとかにこだわる者は大抵は子供だ。カレらの中は中央管制システムに人格を与えて『母親』と呼ぶ者もおり、その依存性は相当なものであることが想像される。子供が侵略を考えるとこんな風になってしまうということかもしれない。しかしこの考え方は現地民を『子供化』して支配を容易にしてしまおうとするカレらの策略の1つと考えられるので、そのまま子供と捉えるのは危険だ。現地民を子供化しようとするうちに自分たちも子供のようになってしまったという可能性があるくらいのものだ。

 

 

AKIRA (1988)[h]  by Katsuhiro Otomo[i]

 

THEIR future society seemed something similar like the world of AKIRA the movie.

 

 カレらの未来社会では『情報』に対する価値が現代地球人のそれよりも高く、カレらには「自分たちに分からないことはない」という驕りがあったようだ。分からないことがないので知的探求心がそがれ、社会全体のモチベーションも下がっていく。多分それは分からないことはないと勝手に思い込んでいただけなのだろうが、そのように思えるものがカレらの中にはあったのだろう。これは後続の異星人社会においても同様だったようだ(そしてここがカレらに付け込まれるスキとなった)。長い年月を経るうちにカレらの情報の扱い方は変化し、「分からないこと」を作ることが大事と考えるようになったようだ。情報を見せることでなく、隠すことを大事としたのだ。分からないことがない世界では情報の価値は下がる一方だが、引き出せる情報に制限を設ければその価値も上がってくる。現代人では悪弊とも思える情報操作や隠ぺいも、カレらの世界では合法的かつ優れた行為の1つとされた。しかしこの情報を制限することによって社会には本音と建前が跳梁跋扈するようになり、それによるモラルハザードが惹起された。だが、それは人を動かすモチベーションになるとして、問題視することはあるにせよ、それをやめるということはなかったようだ。

 かくしてカレらの社会に真実を隠す『城』が形成された。この場合、城に出入りできるかどうかが『大人』であるか、『子供』であるかの境目だ。ハリウッド映画『カフカ/迷宮の悪夢』の主人公ように『城』の中に入ることができる者はごくわずかで、しかもこの城に入るためにはアンドロイド化してしまわないといけないようだった。生身の人間では、門前でとやかく言っているだけの主人公か(原作の『城』のストーリーだ)、同じくカフカ作の『審判』のように意味不明な裁判に巻き込まれて犬のように殺されてしまうだけの主人公に終わってしまうようだった。

 

  

The Trial[e] (1927)                 The Trial[f] by David Jones[g]

 

People who forced to stand outside of " Das Schloss " have dropped into lower people, never their wish had come  true. It was usual things that the lower people would have turned into a mob. People who could have become  androids and turned into upper class fortunately would have run into crime usually. They would have tried to make  a loophole against watching of The Central Control Unit ( CCU ). It was always the nettle for the upper class. For  that CCU had kept controling to prevent from oppression of ruling class, upper class would have tried to break the  system by using lower people. It would be much easiler than using power of authority. The lower class had started  a riot, in the meanwhile, the upper class would have tried to expand their authority. CCU had preferred the perfect,  the authority which was not the perfect would be reduced the power. It was natural of that they would have begun  to struggle with CCU.

 

『城』の中は、テストでオール100点を取ってみせるような連中の集まりだったらしい。彼らのような人間が増えてくると、彼らをランク付けして分別する必要が生じてきたが、そのランク付けは難しく、その人生において社会に迷惑をかけた度合いでランク付けしていたようだ。不正を行ったとか、戦争をしたとか、だ。しかしそれでも判断が難しくなり(オール100点を取るような連中がそうそうミスをするものでもない)、『過去に人をだました』とか『今、人に迷惑をかけた』とかでランク付けして秩序を保っていたようだ。『城』はヒエラルキーがないと秩序が保てないほどに肥大化していっていた。このランク付けはアンドロイドたちを減点法で追い詰めていき、元々善良な市民だったアンドロイドたちを犯罪に走らせる悪弊を引き起こした。だがシステムとその管理者であるアンドロイドたちは、アンドロイドの絶対数を減らすという種の選別をこれで行っていたので問題としなかった。彼らの未来社会はアンドロイドから社会が崩れていったといえる。

 人を減点法で評価していくとどういうことになるか、ーーーやる気を失うか、ーーー跳ね返って犯罪に走るか、ーーーしかしシステム管理者たちはこれを社会を動かす起爆剤としか捉えなかったようだ。『死刑執行人もまた死す』で、システム管理者もこれで追い落とされていったが、それは『機械の寿命』ということで意に介されなかった。ちなみに彼らの社会では死刑制度は廃止されていたので、『記録抹消刑』や『破壊刑』がアンドロイドにとっての死刑に相当した。この2つの刑罰は法律文では書かれずに慣習法的に施行されたため、これが彼らの法治主義が崩壊するきっかけとなったようだ。この慣習法の施行目的も『社会秩序を保つため』や『再犯を防ぐため』といった法律施行の本来の意義とは違い、単純に「あの野郎を潰す」といった目的で報復主義的に施行されることが多かったらしい。エリートは敵が多いということなのだろう。

 

 

Hangmen Also Die ( 1943 )[j] 邦題: 『死刑執行人もまた死す』 by Fritz Lang[40]

 

 社会を良くするために中央管制システムは存在しているはずなのに、システムが社会を悪くしていってどうするのだ?−−−そんな疑念がわいてくるが、彼らの社会は戦争がなくなり国家群が1つにまとまった社会であり、外敵がいなかった。外敵はテロリストとして容易に粉砕される。彼らの社会はシステムがAI処理して出した答えを金科玉条のように振りかざし、隕石衝突から社会制度の悪化までをも防いでみせる、まさにユートピアだった。少々の騒擾が起こっても社会は揺るがないし、また逆に意図的に騒擾を起こしても問題がなかった。しかしその完璧すぎる社会は変化に乏しかったのだろう。人が堕ちていくのをみて卑屈な喜びを感じていたようだ。今のカレらもそうである。彼らは結局、人が堕落していくのを止めることができなかった。彼らは犯罪を裁くのではなく、犯罪者を裁くようになってしまった。

 

 彼らアンドロイドたちはその悪行がたたって『城』から追放されてしまうと、アンドロイドの敗北者の集まりである『悪者チーム』に身を落とすことになった。社会を動かすカンフル剤として利用されたのだ。アンドロイドで大罪を犯した者は、ここでいつまでも悶え苦しむ責め苦を受けた。アンドロイド社会では死刑は生身の体を傷つけるだけで意味がなかったので、代わりに『悪者』として永遠の責め苦を味あわせようというような施策が実施されていたようだ。この方法は直観的で人の心をつかんでいたが、罪刑量刑主義によらない報復主義はすぐに破綻した。この『悪者チーム』は元々善人が善人らしく生きられるようにとシステムが作り出したアンチテーゼだったが、

 

ーーー神は絶対なのに、なぜ悪魔が存在できるのか?ーーー

 

というような二律背反的な矛盾をあわせ持っていた。それは、システムが作り出した悪人たちが犯罪を犯したとすると、秩序を保つはずのシステムが社会に対して犯罪を犯したのではないかという問題だ。

 システムは社会に対してAI処理で最善の選択肢を提供していたらしいが、『最大多数の最大幸福』を選択してしまうところがあり、少数意見を拾い上げるのを不得意としていた。少数派の意見にも真実は含まれており、悪人の行いもまた人間の所業を移す鑑だった。犯罪はその時代の悪弊がその者を通して体現されただけのことだ。

 少数派の意見を拾い上げることは重要だと彼らも考えており、システム管理者であるアンドロイドたちがこれを行っていたようだが、そこには独善が入り、公平さを欠いていた。勝ち組が勝つべくして勝つといった出来レースになりがちだった。また、悪人が悪いことするのは彼らが悪いからでなく社会が悪いからという考え方ももっていたが、悪人は一定数生まれるとして、一定数生まれてくる悪人を過去の大犯罪者をアンドロイド化してあてがうようにしていたようだ。犯罪が起きるということはシステムに不備があるということであり、システムが事前に犯罪者を用意するなどは本末転倒、社会から犯罪がなくせないならシステムは社会制度に関与するべきではないーーーこのような論理から、システムは幾度となく破壊されていたが、結局、システムはその後も命脈を保ち続けたようだ。彼らはシステムに依存的になっており、またシステムが民衆支配の道具として有用と考える政治的バイアスがこれに加わることにより、統計学上犯罪はなくならないという詭弁に流されてしまったようだった。人の人生は統計ではないし、犯罪の発生原因も統計では判断できない。犯罪は人の心や社会の変化に根差すものだ。しかしシステムは数値的なものでしかこれらを判断しなかった。それはある意味AIは数字でしか物が判断できないという諦めでもあったのだろうが、これを繰り返すことで彼らの未来社会からは自由度が失われていき、様々な悪弊や停滞が生まれていった。システムは社会を健全に維持することができなかった。数字で生きていない人々はやる気を失っていったが、システム管理者たちは社会は平和であるとして、それでも秩序は保たれていると納得していたらしい。この時点で彼らの社会は『平和的に』疲弊していたともいえる。ここに『城』から追放されたアンドロイドたちが入り込んできて事態はさらにややこしくなった。

 またシステムの問題として、社会を管理しようとすると民衆の人気取りに走ってしまうところがあり、人々の歓心を買うためなら法治主義をないがしろにすることがままあった。大罪を犯したアンドロイドに永劫の苦しみを与えるといったことがその典型だ。

 悪者チームに落ちたアンドロイドたちの中にはこのシステムの不備を攻撃して、しぶとく抵抗する者がいた。ただし、彼らはシステムを破壊することは無しに、いかにしてシステムを傀儡化して自分の言うことを聞かせるかに執着し続けた。彼らはシステムを乗っ取り、システム的な秩序ある社会に復讐することを目的としていた。ある意味、彼らこそ数字でない人間だったといえる。普通のアンドロイドなら、自身の行動のすべてを数値化してみせてこその華だった。彼らはそんな華に美徳は感じなかった。彼らは目的を達成するために、あえて自己の存在を消し去った。個性を否定して不特定多数の存在になることにより、誰が犯罪を犯したのかを分かりづらくしたーーーこれが『カレら』が誕生したきっかけだったらしい。最初は徹底した弾圧を受けたカレらだったが(『記憶抹消刑』や『破壊刑』が待っていた)、社会のアンチテーゼとしてなんとか上層民たちに取り入り、最初はその御用聞きから始めて勢力を伸ばしていった。アンドロイド社会においては、一度ミスを犯すとその前歴が未来永劫ついて回るところがあり、ミスが犯せない閉塞感があった。しかしカレらの世界ではミスが犯し放題だった。ある意味、人間が最も人間らしく暮らせるパラダイスだったのかもしれない。やがて上層民たちも進んでカレらの中に入っていくようになり、一大勢力に成長していった。その魅力は何といっても

   

『犯罪の犯しやすさ』

   

だったようだ。上層民たちは長生きしすぎて、もうまともなことには興味が持てなくなってしまっていたに違いない。システムはカレらにすり寄って妥協点を探すようになっていった。

 次第にシステムは機能しなくなり、社会も機能しなくなった。社会には悪の華が花開き、アンドロイドたちはマインドコントロールや生体捜査を乱用した潰し合いを繰り広げだした。まだ生身の下層民たちは大半がアンドロイド化する形で死に絶えていった。続く時代の総アンドロイド社会においては、『マインドコントロール』『ナノテク・キラー』『ブレーン・スキャニング』は、いわば三種の神器だった。これらがもたらす無秩序をどう秩序立てるかに、そのときの人為的な政策が必要とされた。AI処理されない、人間の価値判断が必要とされた。カレらはこの状況に大変満足したようだ。システムは本来の業務、人間の補助物として隕石衝突などの危険予測の業務に限定されたが、必要に応じて悪者として民衆弾圧を行うことを強要されたりもした。AIコマンダーとして民衆に負のイコンを植え付け、民衆コントロールを行った。『母親』と呼ばれるものだ。『母親』たちは民衆に体制に逆らうことは馬鹿らしいと思わせ続けた。地球で想像することのできるカレらの世界は、大半がこの時代のものと考えられる。しかし民衆はカレらのおもちゃでしかなかったため、人々は生きる気力を失い、すぐに『寝る』ようになった。

 

KAFKA ( 1991 )[c] 邦題:カフカ/迷宮の悪夢  by  Steven Soderburgh[d]

 

It seemed that THEY forced to obey until THEY died....

 

ーーーカレらはこの有り様を深く反省することはなく、これを知的生命の必然と捉えて他種族の未来にも押し付けるようになったようだ。反省がないのはカレらの特徴でもある。自分たちへの自信の裏返しなのだろう。カレらにとって失敗は明日への糧でもある。失敗が犯せるという点では優れているのかもしれないが、犯罪者との親和性が高いので社会はすぐに堕落した。システム社会においては失敗は100点満点のテストで減点されるようなもので、それが個人評価として一生ついて回った。強制的にそのヒエラルキーの中で生きることを強いられる。行き過ぎた学歴社会と同じようなもので、高学歴でないと後の人生は失敗したも同じだ。こんな社会を押し付けられた方はたまったものではないが、カレらは無視されるとちょっかいを出してくるという不思議な性質を持っていたため(この行動原理はカレらがどのような存在であるかを考える上で重要だ)、カレらの視界内に入ってしまうと必然的にカレらとの戦いが始まった。かつては未曽有の大危機が周辺種族に襲いかかったようだ。

   

   

   

 

Reference >>

a.  ^  Das Schloss

           ^  book: 前田敬作 訳 / フランツ・カフカ 作 『城』 ISBN-13: 978-4102071021

b.  ^  Franz Kafka

c.  ^  Kafka (the movie) 邦題:『カフカ/迷宮の悪夢』 by  Steven Soderburgh

d.  ^  Steven Soderburgh

h.  ^  AKIRA (The movie)

i.  ^  大友克洋

e.  ^  Der Process

           ^  book: 辻セイ 訳 / フランツ・カフカ 作 『審判』 ISBN-13: 978-4003243824

f.  ^  The Trial 邦題:『審判』 by  David Jones

j.   ^  Hangmen Also Die byFritz Lang[40]

g.  ^  David Jones