Contemplation Field of MichiroJohn

Chapter4-2


W−2.Love(愛する)
 
 

A Man and a Woman ( 1966 )[al] 邦題:「男と女」 by Claude Lelouch[am]

   

---- Love is likely the second best art of any lives.

( 愛はおそらく生命体における第二の最高芸術である )

   

 生物の進化において、胎生の獲得は母性を生み出しただけでなく、母性をより高次な『愛』という概念へと昇華させたといえる。ただし、地球においてはこれは人間社会だけがなしえたものだ。では宇宙種族においてはどうだろうか? カレらの言説を振り返ってみると、いくつかの種族に分かれると考えられるカレらの生態はほぼ一致しているらしく、

   

1. 直立二足歩行をし、地球人とほぼ同様の容貌を持っている。体毛は少ない。

2. オスとメスに分かれ、胎生である。

3. 大量絶滅が起きた時期によって将来知的生命体となる種の選別が起きる。

   

ーーーという特徴がある。知的生命体となるためには脳容量の増大が必須であり、このためにはマニピュレーターとなる手が用意される直立二足歩行は有効であり、胎生は脳容量を最初から高い状態で始めさせることができるのでこちらも都合がよい。体毛が少なくなる理由は不明だが、環境に適応するための努力が必要となるため、知的生命体に進化する可能性が高くなるのかもしれない。あるいはヒトは神に似せて造られたのかもしれない。分からない。

 実際、のちに『第一の植民者( Colonizers of ONE )』となるホラ人は、様々な種を知的生命体へと進化させようとして失敗しているらしい。結局、生命をおもちゃにしてしまう宇宙種族に堕してしまった。今では新興の知的生命体のフリをして植民を押し進めてくる侵略者だ。彼らは別の宇宙種族を『イヌ』『ネコ』などと呼ぶことがあり、ハラヘル人が『イヌ』でモグリ人が『ネコ』だ。ホラ人やシメル人が直接言った訳ではないが、マリス人は『恐竜 ( Draconian )』であるらしい。マリス人が言うには、大量絶滅が起きた際に何が胎生を持つかが重要であるとのことだ。ちなみにマリス人は地球人を含めてカレら全体を『サル』としか呼ばない。マリス人と同盟関係にあると考えられるクエル人も自らを『サル』だと言っており、この言説は正しいのかもしれない。サルが知的生命体となりうる利点は多いのだろう。ただしマリス人に言わせると「なぜサルがヒトの言葉を喋るのか?」となる。彼らの世界ではサルはヒトのまねをするのが得意な下等動物であるらしい。

 ちなみに地球においての知的生命体への進化は、2億5000万年前のペルム紀に起きた大量絶滅によって( P-T境界 )ほ乳類型爬虫類が胎生を持ったことに端を発すると考えられるので、厳密には我々を『サル』とは呼べないかもしれない。我々はレプタリアン( Reptilian )と呼ばれることになるかもしれないということだ。

   

 閑話休題。カレらはよくアンドロイドを『彼( HE )』と呼び、人間を『彼女( SHE )』と呼ぶ。私はカレらから何回か『彼女』と呼ばれた。カレらの世界にもオスとメスがいるということなのだろう。カレらは女性を指して『カレ』と呼ぶことに劣情じみた卑屈な笑いを浮かべることがあり、第3の性に対するカレらの一般認識を伺い知ることもできる。カレらの世界でもLGBTは少数派である可能性が高いということだ。生命進化論的には、母体とそれ以外の性しか存在しなくなるのが当然のかもしれない。知的生命体が胎生を持つ必要があるならば、母体に特化した性が必要であることは想像にかたくない。

 またカレらの『彼』『彼女』の呼び方は、オスが悪でメスが善であるという前提に立っているといえる。母体でないほうの性は暴力的機能に特化して社会ヒエラルキーを構築していった可能性がある。あるいは地球社会にあるような地母神的な女性崇拝に根差した発想なのかもしれない。

−−−どちらもこの地球上にあるものであり、考えることはどの宇宙人でも同じなのかもしれなかった。

   

 ちなみに昔の日本では、女性は太陽だった。中性的な太陽神、天照大御神( アマテラス )だ。フェミニストの平塚らいてうの言うところの「元始女性は太陽だった」である。カレらの中にはこのアマテラスのふりをする不遜な存在もいる。神のふりをする者は他にもおり、ローマ神話のユースティティア( Lady of Justice )と呼ばれることを喜んでいる者もいる。要は神様になりたいということだ。

 神様になりたいなどと思うのは自分に対する自信のなさの裏返しであり、カレらの自分たちのしていることへの後ろめたさを表していると考えられた。第一の植民者たちは新興種族への干渉の仕方を間違ってしまっているのだろう。カレらは一般に議論をしない連中であり、議論をしても最初から結論ありきの議論の仕方を行ってくる。結論が出せない議論については延々と小田原評定を続ける、あるいは勝手な思い込みで見切り発車で事を進めるといったことを行ってくる。カレらは自ら神となって独善であることを肯定する必要があったともいえる。

 ちなみに結論が出せない議論とは『地球人は滅ぶや否や』であり、勝手な思い込みとは『誰彼(私を含む)を殺せば地球は滅ぶ。自分たちの植民が成功する』である。私を含めて誰彼を殺したところで地球は滅びないだろうし、それで地球への植民が成功するとは言い切れなかった。だろう推量で大胆なことができるのがカレらの特徴であり、この途方もない見切り発車はカレらが議論をしない種族であることの何よりの証だった。中央管制システムでAI処理された結論で動いている内に議論しない体質が染みついてしまっているらしい。カレらは何モノかの指示を受けて盲目的に動いている様がしばしば観察される。その指示が適切であればこれは問題ないのだろうが、見た目にそのようには見えない。何モノかの指示は他の新興種族でもやってみたことをこの星でもやってみるという紋切り型のもので、先が見透けてしまうものなのだ(第三勢力からしばしばその対応策が聞かれてくる)。カレらはマニュアルで動くただのプロダクトということだ。

 この戦略性のなさはカレらが遠からず滅ぶことを証明していると考えられたが(戦術的な勝利だけでは戦争に勝てないことはナチスドイツがよく証明している)、ただ科学技術力が地球人のそれをはるかに凌駕しているために恐れる必要があった。バーロー人やクエル人など、第一の植民者に対抗する勢力との連携が重要であるといえよう。

   

 カレらはどうも愛をはき違えてしまったようだった。「干渉することこそ愛だ」という発言がカレらの中からしばしば聞かれてくる。実際のところそれは自己愛であり、自分たちが一番偉いと認めてもらいたいと願う承認欲求のようでもあった。たぶん彼らは宇宙では爪はじきにされているのだろう。無視を決め込むとひたすら話しかけてくるようになるので、無視をするのも一苦労だ。結局、カレらの言うことを適当に認めておくことになる。執拗な話しかけを受けずに済むからだ。そうするととんでもない世界観がそこには築かれてしまっていることになる。いわく、「地球社会は何度も繰り返している」などだ。私は父に考古学者を持ち、遺跡発掘も手伝ってきたので、地中に埋まっている遺跡や遺物をどう処理するのか聞きたくなるような話だ。

 カレらはそんな途方もない話をバカ真面目に話してきて、その嘘を見抜くのがゲームだと言ってくる。わざわざ遠い星からやってきてそんな意味不明な謎かけをしてくる奴らの気がしれない。ーーーというようなことを思っていると「意味のないことに意味があるんだよ」というようなことを言ってきて煙に巻いてくる。ーーーおそろしく馬鹿なのか、知能犯なのかーーー結論に向かって動いているようには見えない無計画な動きーーー戦略性のないところにある戦略性ーーーただの道化師のように振る舞う高度な詐欺師ーーーやがてカレらは孤独なんだと気づくに至った。

   

   

 

Reference >>

bc.  ^  Un homme et une femme

bd.  ^  Claude Lelouch