Trojan Horse[38] Apple of Discord[39]
ムートピアはディストピアかもしれないが、しかしかつては誰もが優れた理想と文化を持つ人々たちであると信じて疑わなかったという。理想に燃える国家では軍隊を廃止したところもあったらしい。しかし1つの大きな間違いが大きな社会矛盾を生じさせ、やがて誰も住まない無人地帯へと変貌させてしまったとのことだ。それは人間をアンドロイドに作り替えてしまったということだった。ヒトの生命をおもちゃにしてしまったのだ。
これを当然の帰結、あるいは仕方のないことだと言うモノがカレらの中にはいる。科学の進歩は人に生命倫理の問題を突き付けてくることは我々の地球社会でも同じだ。
ムートピア人も同様の問題に直面し、実験的に様々なことをムー島において行ってみたという。国際機関の本部があり、かつ大陸から離れた位置にある同島は社会実験を行うにはうってつけの場所だったらしい。
彼らがそのような社会実験を始めたのは、不思議な声の存在があったからでもあるという。私も聞いた『あの声』が、彼らの耳にも届いていたのだ。
―――つまり、ムートピア人以外にも異星人がいるということだ―――
しかし彼らムートピア人はその現実的な思考でその存在―ーーつまり異星人だ―ーーを公にせず、封印してみせたが、あの声の主にとってはそれはどちらでも良いことだった。『公にすれば堂々と暴れる、封印すれば語れないタブーとして暴れる』というだけのことだった。相当な議論があったらしいが、ムートピア人は結局のところあの声の主、つまりカレらの狙いを完全には理解できなかったようだ。カレらは現地社会に騒擾を巻き起こすことを狙っていた。
その結果、彼らの好む好まざるとに関わらず後者のほうが選択された世界―――異星人の存在が妄想でしかない社会が展開されることになったが、最初、それは理知的な判断であるように思われた。異星人がテレパシーを送ってくるなどということは夢想にすぎる話であり、ただの妄想となんら区別を持たない。カレらのことは語りづらい話題であり、タブー視されるようになっていった。
しかしタブーは反社会勢力と結び付くと裏社会を形成させてややこしくなり、またテロリストと結び付くと彼らに義賊的な大義名分を与えてもっと処理が難しくなる。社会としてはタブーは無いほうが健全であり、また公に語れることで問題点が焦点化されて解決に結び付くことも多い。惑星ムートピアの場合、これが既存の反社会勢力と結び付くことはなかったようだが、新たな社会矛盾を生じさせ、やがて社会全体を反社会化させてしまったらしい。
子細はカレらから教えられないので分からないが、彼らが異星人の存在を否定したことによって『あの声』を問題視することを難しくし、彼らの理想的な社会に処理困難なタブーが形成されていったようだ。友愛に満ちたムートピア社会に本音と建前というダブルスタンダードが少しずつ生じ始め、ついにはこの妄想の処理をめぐる裏社会の成立を許してしまったという。そして様々な紆余曲折を経て社会全体を巻き込み、『あの声』の存在をめぐる争いを引き起こすこととなった。それは現実的に生きようとする彼らが、唐突に神々の戦いに巻き込まれてしまったかのようだったという。
ムートピア人たちは知らぬ間に、不和を引き起こす黄金の林檎を投げ込まれていた。その林檎には、『世界で一番優秀な者にこの力を与える』というようなことが書かれていたらしい。彼らの場合、黄金林檎は女神たちでなく彼らの中に投げ込まれていたといえる。その言葉に踊らされて、多くのムートピア人がその力を得んと動きだした。
Troy (2004)[40] 邦題:「トロイ」 by Wolfgang Petersen[41]
かくして彼らの長く苦々しいトロイア戦争が始まった。あの声の主たちは、もっともらしいことを言ってこの争いを長引かせた。例えば―――
『内なる敵の存在は後に尾を引く。外に敵を作ることで内輪もめをさせない。我々がその敵になる』
といった具合だ。ムートピア社会ではこの争いで実際に戦争まで起こったという。争いが起きなくなるはずの方法でなぜか争いが起こった。そのような齟齬が生じると、あの声の主たちはなぜか沈黙した。カレらなりの善意のつもりだったのかもしれないが、常に悪い方向に事態が進展していった。カレらが敵対するのはそれなりの理由があるかのようにみせていたが、実際のところ、それは体のいい侵略だった。カレらに最初から助けるつもりなどなく、自分たちが神であるかのようなフリをしてムートピア人の前に現れ、その乗っ取りを企んでいたのだ。しかし見かけにはそれが善意なのか悪意なのかよく分からず、やがてムートピア社会は泥沼の様相を見せはじめるーーー
Reference >> |
38. ^ Trojan Horse 39. ^ Apple of Discord (Golden apple) 40. ^ Troy 41. ^ Wolfgang Petersen |